ゲスト投稿: 洞窟の国、キルギス(パート1)

スイス人のアウトドアブログ洞穴の国、キルギス(パート1)1

(投稿 by Jörg )

 この投稿は、イギリス人・アメリカ人・スイス人の洞窟探検家が2週間に渡りキルギスで活動した体験記です。「キルギスって、一体どこ?」これが洞窟探検家向けのフォーラムで、キルギス洞窟探検について耳にした時の、私たちの最初のリアクションでした。キルギスは、国土の40%が万年雪に覆われた標高3000メートルを超える山に占められており、7000メートル級の峰をも有する山国で、北東部には中央アジア最大とされるイシク・クル湖を誇る、雄大な自然が魅力の国です。国土は東西に長く、中国との国境には天山山脈が延びています。この山脈のウイグル語名は、天の山を意味するテンリ・タグ(Tengri tagh)といい、漢名の天山山脈はこれに由来するようです。「天の山」という響は、実に我々探検家の、近づき難いであろう広大な石灰岩地域に潜む長い洞窟への探検意欲を掻き立てるものです。


 

8月26日、イギリス・アメリカ・スイスから募られた9人の探検家が首都のビシュケクに到着しました。私たちは、現地の連絡係を務める「洞窟とカルストの保護研究基金」による歓迎を受け、国内の移動手段等を手配してもらいました。初日はビシュケクで、ソ連時代の名残を感じながら、だだっ広い通り沿いを散策して過ごしました。その晩は、手配してもらったスプリンターバスでは小さ過ぎることを問題視し、VWバスのレンタルによる解決策を協議しました。これにより、私たちは、十分な乗車スペースに加え、道中の食事をまかなってくれるエレナの同乗をも確保することができました。

 

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翌朝は早めに出発し、パミールハイウェイに乗り、標高3000メートル強の峠越えを急ぎました。車窓から目にする広大な高原には、ユルタ(遊牧民族の円形型移動テント)が点在し、大地のあちこちに馬が見られました。私たちがこの日目指したのは、ウズベキスタンとの国境に位置するケルベンでした。ここには、潜在性についての報告がなされている二つの未調査のカルスト地域、チャナフとバズボートが有り、洞窟探検家を誘惑しています。私たちは、村々で洞窟について尋ね、また子供の恵みを祈るための女性の巡礼についても聞かされました。長い谷の果てにたどり着いた先で、私たちは、キルギスの巡礼者に昼食による歓迎の招待を受けました。食卓には、パン・野菜・羊の肉が並び、グループの年長者であるピーターとマイクは、ここではご馳走である羊の頭を、歓迎の印として振舞われました。ここでは、遠慮(拒否)することはできません。


 

報告されいる洞窟は、深さが30メートルほどであることがわかり、すぐに測定できました。この日の晩は、リンゴ園の中を流れる川の近くでキャンプを張り、エレナによるロシア料理とおもてなしを楽しみました。翌日も、前日同様に、チャナフ谷の果てでお茶による歓迎(こうした歓迎は、どうやらキルギス人の慣習のようです)を受け、絵に描いたような景色の中での洞窟探索は似たよな物でしたが、洞窟自体は、険しい石灰岩の山々により閉ざされており調査には至りませんでした。私たちは、次の目的地であるフェルガナ山脈地帯での洞窟発掘の成功を祈り、移動を続けました。アルスランボブで、狩人から洞窟の入り口についての情報が入りました。古くグラ付きの激しいロシアの UZAC(4輪駆動)での三日間の谷沿いの旅は、ちょっとしたスリリングな冒険でした。私たちの地質学者兼通訳者であるアザマートに言わせれば「快適さには欠けるが頑丈だ」とのこと。私たちは、標高3000メートルの山を1000メートル登り詰め峠越えするために馬に乗り換えました。

 

キャンプ地となる谷の終わりに辿り着いたのは、出発してから10時間後のことでした。そこは山の中腹で神秘的な洞窟の入り口でした。翌朝、私たちは二手に別れ探検を開始しました。ニコと私は山側を、イギリスチームは狭い谷間を。嬉しいことに、わずか10~30メートルほどの長さですが、洞窟が見つかりました。周囲は活発な川の流れにも関わらず、溶解や衰弱傾向は見受けられず、岩壁の中の洞窟内に広がるこぶし大の石膏結晶と3つ隣り合わせのホールは一見の価値があります。氷点下に達した寒い一夜が明け、私たちは再び馬に跨り、アルスランボブへと引き返しました。渓谷での四輪駆動車での走行、乗馬、そして自分たちの足での移動は、快適さからは程遠いものでしたが、スリリング感溢れる冒険的な旅だったことに間違いありません!

 

いつ: 2017年8月26〜9月10

どこ: キルギス

(Photos by J. Dreybrodt, N. Shape and A. Wright)